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近代医学の誕生と時間の忘却、あるいは時間の忘却という名の忘却の契機?

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 今日は、奈良女子大学の古代学・聖地学研究センターが主催する講演に参加してきた。おそらくこの講演のアーカイブは残らないであろうから、個人的なアーカイブとしてここに若干の要約と感想を記しておくことにする。f:id:yusakuESBM:20240612130413j:image

 講師は、ハーバード大学教授でエドウィン・O・ライシャワー日本研究所の所長も務めている栗山茂久先生である。栗山さんは『近代日本の身体感覚』(青弓社)や『遅刻の誕生: 近代日本における時間意識の形成』(三元社)、そして恐らく主著である The Expressiveness of the Body and the Divergence of Greek and Chinese Medicine(Zone Books)などを執筆されており、表現と認識の関連、あるいは時間意識についての研究などをされていると説明すればいいのであろうか。正直なところ、栗山さんを知ったのは今回の講演が初めてだったので、詳しい業績などについては何も知らなかった。その点に関してはそれぞれで調べていただくとして、さっそく今回参加した講演についての話をすることにしよう。

 今回の講演の題名は「時間の忘却と近代医学の誕生」というものであり、その内容は、文字通り「時間の忘却」という契機が近代医学誕生の端緒にはあったのだ、というように論が進められていくものであった。僕の記憶を辿れる限りで、今回拝聴した講演の内容を要約しておこう。

 栗山さんの発表は、物理学が数式なしでは考えられないように、現在の医学は画像なしでは考えられない、というところから始まった。この点に関しては僕も同意であるし、個人的には、これについての研究をしてみたいと思っている。つまり、医学に関する視覚論的研究とでも呼べばよいのであろうか。あるいは、パノフスキーにならって「イコノロジー的研究」とでも言えるだろうか。まぁ、これについては、まだまだ先のことになりそうではあるが…。話を戻すと、次に、それは現在に限ったことであり、過去は違っていたというところに焦点が当てられる。つまり、医学知の最高権威と崇められてきた古典、例えば古代ギリシアの『ヒポクラテス全集』や古代インドの『チャラカ・サンヒタ』、古代中国の『黄帝内経』は、そのいずれもイメージが一つもなく(これらの例は、栗山さんが講演内であげられていた)、その点において、古典医学と近代医学は決定的に異なっていると主張されていた。また古典医学は、その書物に言葉のみが用いられていたことからも「言葉の科学」であると言われていた。これは、僕がしばしばツイートしているように、以前見た千葉雅也さんのことば、つまり「医療はまずもって言葉の技術である(大意)」を連想した。この点については、実に興味深い指摘であると思うし、検討される価値があることだろう。

 この対照性は、言われてみれば当然のことなのではあるが、従来の医学史では触れられてこなかったと栗山さんは言う。氏いわく、従来の医学史観は「画像の質の対照性」が、つまり「観察の質のコントラスト」が主題とされていたからである。画像の質が対象化されている限り、画像の在不在という栗山さんが取り上げる対照性はいわば隠蔽されてしまう。この医学史観においては、伝統医学から近代医学へと、より鮮明に、正確に見れるようになったという連続的な進歩史観が採用されることになる。しかし、氏が主張する医学史はそれとは異なるという。栗山さんの提唱する医学史は、稚拙な画像が利用されていた近代以前の医学の前に、長期間にわたる画像不在の時代があったのであり、稚拙な画像の時代は近代医学の時代への移行期であったのだ、という医学史観のようである。

 では、そのような観点から見て「時間の忘却」が近代医学の誕生と関係しているというのは、どういう意味であるのか。栗山さんはいくつかの画像を引用し、従来の人体観あるいは画像が、現在とは異なったイメージを含んでいることを取り上げる。洋の東西を問わず、それは気候や宇宙のうちにある、あるいはそれと密接に関係する身体というものを描いていた。それらは、天体の運行と身体の関係や身体内を巡る気と身体を取り囲む風=気の関係を含んでいた。人体図の周りには天体の運行(特に星座)や天気(仏語: temps=時間)が描かれ、人間が着る衣装は風に靡いている。そういった「ある流れの中にある身体」という点から、従来の医学は「時間の科学」であり、時間は絵で捉えにくいため、画像不在の期間が長かったのだとされる。また、医学が時間の科学であったことは、医学が言葉の科学であったことと深い関わりがあるとも指摘されていた(この点についての詳しい内容は忘れてしまった)。そのような画像は、「時間の流れを読み取る眼差しを育成する」という役割を持っていたことを栗山さんは指摘する。しかし、現在の医学的画像にそのような側面はなく、単に「在り方を教える」という役割を持つようになったと指摘する。その点において、医学は時間の科学から人体の科学になったのだ、ということである。そこにおいては、「『心の眼』にしか見えない時間」から「その時、目の前にあるもの」への「注目の推移」があるとされる。つまり、時間の流れへの注目から、現在への注目という推移があるというのである。そして、ここで重要な要因として作用したのが、アンドレアス・ヴェサリウスの『ファブリカ』に代表されるような写実的な画像である。写実的な画像は、もののpresence(存在すること)を伝えると同時に、注意をpresent(現在)に集中させ、時間を忘れさせる不思議な力を発揮する、という。

 まぁ、これで大まかに先生の主張と論調は要約できたかと思う。つまり、医学は長らく画像不在の言葉の科学、時間の科学であったが、稚拙な画像の時代が移行期として出現し、写実的な解剖図の出現と共に時間が忘却され、近代医学が発展したというわけである。

 個人的には、この講演の内容には様々な論点が含まれていると思っているし、反論したい箇所も多くある。しかし、それと同時に同意できるところもあり、ハッとされられた点があったのも確かである。まず、肯定的な点についての感想から始めよう。

 まず、画像不在の時代というものに目を向けたことは重要な指摘であったと思う。栗山さんが仰るように、画像そのものについての差異は、これまでにも様々に語られてきた。例えば、医学史の大家であるロイ・ポーターは、風刺漫画や肖像画、写生などに注目して、健康と病気が政治や社会に与えた比喩的・象徴的意味、時代背景を明らかにした『身体と政治: イギリスにおける病気・死・医者,1650-1900』という本を書いている。このように、医学史においても画像は重要な研究対象となってきた。しかし、あくまで画像を対象としている限り、画像不在の時代というものは疎外、あるいは隠匿されざるをえない。もし本当に画像不在の時代というものがあったのなら、その時代の医学とそれ以外の時代の医学を比較することは、医学の本性に迫るためには重要であるだろう。確かに、古代ギリシアの医学よりもさらに昔、紀元前2600年ごろのものと推定されている古代エジプト医学についての貴重な資料「エドウィン・スミス・パピルス」に図はない。しかし、この時代の壁画は残されているであろうし、それをどう扱うのかという問題はある。これらは、さらに研究される価値があるものだろう。他には、これらを時間意識の問題に接続したのも興味深い試みであると思う。

 ここまでが肯定的な感想であるとすると、これ以降が個人的な批判である。栗山さんは、従来の医学史観が画像の質のコントラストに注目し、画像の在不在というコントラスは忘れられてきたと指摘しているが、一方で、栗山さん自身の講演内容も同じなのではないか、という疑問がある。つまり、稚拙な画像の時代と近代医学の画像を比較しはするが、画像不在の時代については、あまり多くが語られていないのである。依然として、時間を含むものとしての稚拙な画像と時間を忘却した近代の画像が比較されているにすぎないのである。また、近代医学の誕生を時間の忘却と接続するというのも、やや困難であるように思う。それは時間を忘却し、ただ現在、つまりその在り方にのみ目を向けるというのは本当なのだろうか。統計的医学、疫学的医学の出現と予防医学の台頭、それにともなって未来に注目する傾向がある近代医学をいかに説明するのか。その点が、やや困難であるように感じる。個人的な仮説としてあるのは、循環的な時間意識から線形的な時間意識への変容というのが重要である気がしている。あくまでこれは、栗山さんがいう稚拙な画像の時代と近代医学の時代に合致する仮説としてである。栗山さんも講演の中で、「周期的」という言葉を古典医学に対して何度も当てていたことから、その点に気がついているのかもしれないが、時間の忘却という点から近代医学の誕生という事態を眺めていては、そこでの時間意識の変容は、それこそ忘却されてしまうのではないだろうか。しかし、循環的と線形的の対比では、画像なしの時代について述べることはできないかもしれない。その点については、栗山さんの講演でも触れられていなかったように思う。つまり、稚拙な画像の時代と近代医学の時代の対比ではなく、画像なしの時代と稚拙な画像の時代の対比をどう扱うのかという問題である。あくまで思いつきではあるが、循環的な時間意識よりもさらに原初的な時間意識、つまり、連続的な時間という認識自体がなかった時代の時間意識の観点から考察してみるのは面白いかもしれない。そういった時間意識の問題に関しては、 比較社会学の名著『時間の比較社会学』において真木(見田)が詳らかに記述している(真木, 2003)。これを参照して考察するのも面白い試みだろう。それについては、またの機会にでも。

 ときおり近代論の文脈で、「近代を象徴するものとしての時計」ということが言われる。「時計は近代特有の時間意識を代表すると同時に、近代世界像としての機械論を体現している」のである(今村, 1994, 62頁)。近代はむしろ、それに特有の時間意識を持っていたのではないか。近代に特有の時間意識が、近代的な画像の成立を可能にしたのではないか。そして、近代医学は時間を忘却したのではなく、それに特有の時間意識と関係しているのではないか。それが僕の問題意識である。「時計は西ヨーロッパの人々に、世界を表象する新しい隠喩(メタファー)を教えた」のである(クロスビー, 2003, 113頁)。また「近代時間性は死を生産する時間性である」(今村, 1994, 101頁)とも言われるが、それと同時に「死をその視野には組み込んだ時間性」なのではあるまいか?真木(見田)は、冒頭でブレーズ・パスカルの「この世の生の時間は一瞬にすぎないということ、死の状態は、それがいかなる性質のものであるにせよ、永遠であるということ、これは疑う余地がない......。」という言葉を引用し、これを「近代的理性そのものを究極においてふちどる恐怖」であると指摘している(真木, 2003, 2頁)。生は直線的に死へと進み、その先にあるのは永遠の死だけであるという認識。それが「近代的理性そのものを究極においてふちどる恐怖」であること。死が眼差しに組み込まれ、人間は誕生から死へと線形的に進むのみであるという認識。これが近代医学の誕生と関係しているのではないだろうか。

 「すでに使いふるされたわれわれの眼にとって、人間のからだは、その生まれながらの権利として、病気の起源と区分の空間を規定している。すなわち、この空間のもろもろの線や容積や表面や道は、今や親しみ深い幾何学に従い、解剖学的図譜によって、決められている。しかし、この堅固で可視的な肉体、というこの秩序は医学が病気を空間化する方法のうちの、一つでしかない。おそらく第一の方法でもなければ、最も根本的な方法でもないであろう。これとはべつの、もっと根源的な区分のしかたが、いくつもあるのだ」(フーコー, 1969, 19頁)と述べたフーコーは、同書において「死から見ると、病は一つの郷土を持ち、座標によって正確に位置づけられうる祖国を持ち、たとえ地下ではあっても、堅固な拠点を持っている。病に近親なものとの関係や、病のもろもろの影響は、ここで交錯する。局所的な諸価値な病のさまざまなかたちを決定するのである。屍体を出発点として病みると、逆説的にも、病が生きているのがみとめられる」(フーコー, 1969, 205頁)とも言っている。死を眼差しに組み込んだ存在は、人間の生が死をもって終わることを知っている。死を眼差しに組み込んだ存在は、病が身体内部の座標に位置付けられることを知っている。ただ生きて、ただ死ぬ存在としての人間を見た近代的理性が近代医学を形作ってきたこと、この内的な連関をこそ問題にすべきなのではないだろうか。「標準化された計量可能な時間を導入する」(274頁)、「時間の客体化——対象としての時間の析出」(280頁)、「生活の時計化」(287頁)という近代に特有の問題、これらと近代医学の誕生を詳らかに記述すること、それをこそ、僕たちはしなくてはならないのではないか。近代医学の中核に特異的病因論がある上に、その基礎は機械論的因果論であることを踏まえれば、近代医学が現在だけに固執する「時間の忘却」に基礎付けられるというのは、どうも説得力に欠ける。因果論は、必然的に原因の結果に対する時間的先行性を含むのではなかったか。そういうことを、講演を聞いて朧気に思ったのであった。

 

参考文献

ルフレッド・クロスビー. (2003).『数量化革命: ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』, 紀伊国屋書店.

今村仁司. (1994).『近代性の構造』, 講談社.

真木悠介. (2003).『時間の比較社会学』, 岩波書店.

ミシェル・フーコー. (1969).『臨床医学の誕生』, みすず書房.


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